#25 精神と時の部屋と徒然草
定期的に読み返したくなるコラムがある。
それは、たらればさんという方が書いた『あの高円寺のユニットバスで、何もかもを欲しがっていた』(https://mooom.chintai.mynavi.jp/koneta/story)で、ざっくり内容を書くと「好きなものをみつけるためにはどうしたらいいか?」という問いに対して、たらればさんなりの回答を示しているものだ。
ちょうどひとり暮らしをはじめたばかりの頃に公開されたこと、どうも曲がった見方ばかりをしてしまう自分に嫌気がさしていたことも相まって、まるで自分のために書かれた文章だと勘違いしてしまうほどだった。
『星の王子さま』のに出てくる台詞を引用し、かけた時間だけ愛情は比例する。だから、自分と向き合うことで自分についての言葉を磨いて、磨いた言葉と向き合えば愛着が湧く、と著者は述べていた(細かい表現は端折っているので原文を読んで欲しい)。その結果、「自分と向き合って磨いた言葉」が「好き」に繋がる、と。
じゃあインターネットが普及した今、どうやって自分と向き合うのか。
ひとつの例として挙げていたのは本を読むこかとだった。幸い、わたしの暮らす部屋にはWi-Fiを開通させていないので、やることは寝るか家事か本を読むことしかない。
先日、Saucy Dogの『雀ノ欠伸』という曲のミュージックビデオが公開された。めちゃくちゃ良い歌だな!と思っていると、それは“サントリー 天然水GREEN TEA”の徒然なるトリビュート(https://www.suntory.co.jp/water/tennensui/greentea/tsuredure/index.html)という、それぞれのアーティストが『徒然草』を再解釈して曲にする、という企画だった。
すごくいい企画だな、となんども思う。
徒然草の序文、“徒然なるままに”から始まる文章、高校生の時に読んだ記憶が蘇る。
そのあとに“硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ”と続く。
現代語訳すると「心に浮かんでは消えるのとを書き留めてみると、自分の心の実態と向き合うことができるのではないか」になるのだが、Saucy Dogの『雀ノ欠伸』では“画面じゃなくて自分を見つめてみようかな”という歌詞に落とし込まれている。
月並みな感想を次から次へと思い浮かべて、やはり自分と向き合うには画面から離れてみよう、と思った。
序盤に書いたたらればさんのコラムから表現を拝借するならば、わたしは文字族の人間であり、音楽族の人間なのだと実感した。
文字と音楽が、自分と向き合う時間をもたらしてくれる。
そしてわたしは現在、『徒然草』を読んでいる。
#24 頭がいいひとのはなし
すごいざっくりとしたタイトル。笑
成人式前、早く寝なきゃならないのはわかるけど、聞いた話が面白すぎて寝られなくなったので書きます。2018年のベストアルバム、みたいな記事も書きたかったけど年末年始の連勤で死んだので、それは気が向いたら。
わたしは、中学高校といわゆる“自称進学校”に通っていた。当時のわたしがその学校に入りたいと思った理由は何個かあって、そのうちのひとつが「勉強はできないよりかはできたほうがいいから」ということだった。
そんなぼんやりとした目標で6年間やっていけるわけもなく、早々に挫折した。意味もなく(今思えばほんとうに失礼)学歴だけを大事にする人たちの空気に負けて、しんどい思いをたくさんした。
結果的に勉強することを諦めて、自分の心が動く方向、自分の将来やりたいことに目に見えて生きるのではないか、ということを学べそうな大学を選んだ。この選択をしたことを誇りに思うし、ちょっとだけ後悔もしてる。その話はいつか書くと思う、たぶん。
バイト先の先輩との距離がグッと縮まった年末年始を過ごした。普段は行かない飲み会も積極的に顔を出して、「このひとのこともっと知りたいな」と思う先輩がいた。わたしもその先輩もなかなかシフトが被らず、もう4年ほどの付き合いでもなかなか話すことがなかった。なんなら23歳と思われてたし留年疑惑かけられてた。しんど!
もうすぐ東北大の大学院を出る先輩。中高と毛嫌いしていた「頭のいい人の持つ独特の雰囲気」がなく、どこか浮いた存在に惹かれたようなきがする。
話を聞くと岡山出身らしい。なんで東北にきたのか気になったので質問すると、「東北って普通に生活してたら足を踏み入れなそうだったから」という返事が返ってきた。「岡山の場所わかる?わかんないでしょ?こっちの人からしたら東北ってそう、どこがいちばん上かわかんないし右左もわかんないよ、そういうこと」って言われて妙に納得した。
ほかの話を聞いていても、どんな返答に関してもきちんと全部根拠を持っている人だった。す
ごく魅力的だった。(あとから話聞いたら23歳とか浪人したとかって言ってきたのにもちゃんと理由があった)
さっき送られてきて戸惑ったリンク、ここにも貼っておくのでみてみてください。笑
https://www.kkr.mlit.go.jp/osaka/commu/road_dat/his_kokudo.html
国道のはなし。
先輩曰く、「地図眺めてて国道4号線って東北に走ってるけど、1号線は?2号線は?って調べてくと、明治時代のその土地がどう位置付けられていたかがわかる」だそうです。
めちゃくちゃ面白くない!?頭がいいってすごくない!?楽しくない!?
一見関係のなさそうなことがつながってくる感じ、わくわくしない!?
ってなってる。マジで。
人生で初めて頭がいい人のことを羨ましく思った。勉強ってこう掘り下げていけばいいんだなって思った。興味、ってこうやって持っていくんだなって思った。
いまはプロパンガスと都市ガスの違いの話してる。ガス漏れ警報機の位置から運び方、公共事業、蒸気圧って視点がぽんぽん変わっていくの、聞いてて飽きないな。
思わず「(先輩)さんの話、一生聞いてられる気がします」って伝えてしまった。ほんとうにずっと聞いていたい。
きっとこういう視点て学問に限らず企画を学ぶことにとっても大事だと思う。すごーく良い影響を受けたきもち。
春から社会人だからこういう話聞けなくなるの、ほんとうに寂しいな〜〜〜〜
#23 Halo at 四畳半というバンドのこと
どこから書けば良いのかわからないけれど、わたしにとって『Halo at 四畳半』というバンドが特別だ、ということだけでも伝わればいいなという気持ちでこの投稿を書きます。
最初から話はすこし逸れてしまうけれど、高校で卒論に近いものを書いたときに、インディーズバンドとメジャーバンドの違いについて調べたことがある。簡単に言えばそれはレーベルの違いをさすだけ。
CDがめちゃくちゃ売れていた時代と比べたら、現在はメジャーとインディーズの違いが曖昧になってきている。言い方を変えれば、いまは多少注目度が上がれば簡単にメジャーデビューができる時代だということ。悪くいうと、バンドとして中途半端な状態だとしてもメジャーデビューできてしまうということだ。
そんななかで、わたしが大好きなバンド『Haly at 四畳半』は、万全を期して、然るべきタイミングで「メジャーデビューを決めました」と報告をしてくれた。
嬉しくないわけないじゃんか。
去年のワンマンツアーで渡井さんが「どんどん進めるような、強いバンドじゃないから。ごめんね。」と言っていたことは今でも忘れられない。謝らなくていいのになあと思った。
どんどん進んでいくバンドはそりゃ格好良いよ。だけど、そんなバンドはわたしのことを置いてけぼりにしてしまう。ちょっぴり寂しい気持ちにさせられるから。ずっと長く好きでいることは難しいと思ってしまうから、ひとつひとつ一緒に同じ景色を見ていられるほうがよっぽど良い。
ちょうど3年前、気温と湿度が上がりはじめた時期に『APOGEE』という音源がリリースされた。黄色に赤文字のあのど派手な袋をうきうきしながら、振り回しながら帰ったことを今でも覚えている。3年前の夏は、「全国流通おめでとう」とツイートをしていた。
確かに歩幅はゆっくりかもしれない。だけれど、一緒に歩いてきているというような、そんな感覚がある。置いてけぼりにさせてくれない、そんなバンドだ。
先日、vo.の渡井さんが「ハロとの思い出を聞かせてください」とツイートをしていて、ハロとの出会いから思い返していたここ数日。
初めて観たフライングサンでのことも。ジャンクボックスで聴いた瓦礫の海に祈りを捧ぐのことも。ワンマンの会場を横目に階段を登って別なライブハウスに行ったことも。はじめての仙台ワンマンのことも。2度目のワンマンのことも。reach the skyという名のイベントで聴いたウユニの空へも。メガロックスで聴いた曲で聴いたシャロンも。darwinで聴いた箒星についても。なぜか群馬で4回も観ていることも。アンテナとのツーマンのことも。
どの日のことも事細かに覚えているけれど、やっぱり初めて観た2015年9月4日、仙台フライングサンを大切に思ってしまう。
初の全国流通盤のツアー仙台編のことだ。
その日お目当てはHalo at 四畳半とQOOLANDとIvy to Fraudulent Gameとジョゼの4バンド。当時はどれもインディーズバンドだった。
今となってはそのうちふたつは解散してしまったし、ハロとアイビーはメジャーバンドになった。3年前のわたしは良い意味でも悪い意味でも想像できないんだろうなあと思う。
バンドを応援する、って幸せなことだとつくづく感じる。日常生活を忘れられるようなライブの時間があること。新曲を楽しみに過ごせること。音源を手に取るワクワク感。しんどさを紛らわせてくれること。明日から頑張ろうと思わせてくれること。
日々の生活に刺激や活気を与えてくれるような存在だ。
だけれど、QOOLANDが解散したころから、「バンドを応援する」ということには“悲しみ”がつきものだと、一種の諦めを持つようになってしまった。
解散もメンバーの脱退も活動休止も、切っても切れないものであると、自分に言い聞かせながらじゃないと身を滅ぼすだけだ。
だからこそ、Halo at 四畳半のメジャーデビューがなによりも嬉しかった。希望の光のようだった。
やっぱり大好きなバンドと一緒に夢を見ていたいよ。いろんな景色見ていきたいし、ずっとずっとワクワクしていたいよ。
よだかの星の掬い方と名付けられた夜。
よだかの星だけでなく、どん底に居たわたしを掬ってくれた時間と言葉たち。
あの夜のように、きっとこれからもずっとずっと掬ってくれるのはこのバンドだと思います。
改めてメジャーデビューおめでとう。
"生きるってことはつまりそう 悲しみの上に立って笑う様なものだろう"
#22 OTONOKE ROCK FES'18開催に寄せて
「開催に寄せて」なんて大きなタイトルをつけて個人のブログに書くようなものではないなあと思ったものの、かといって公式で流すようなパブリック的な内容でもないので、ここに書きます。
その前に!後で公式で勝手にあげようと思って作ったやつ、観てみてください〜。
いちばん再生回数が多い曲と新曲、もしくはわたしが個人的に好きな曲、各アーティスト2曲ずつプレイリストにいれてあります。
→ https://www.youtube.com/playlist?list=PLOpIaDlfPvPqCOsEahW3_LSMyArcYglMX
わたし自身年間80〜100本ライブハウス・フェス、サーキットイベントに足を運んでいるので、曲も名前も聞いたことのないバンドを見る機会もやっぱり多いです。
そこで思うのはやっぱり知っている曲が聴けると安心するんですよね。好きか嫌いかは置いておいても。で、ライブで実際に聴いて好きになるパターンが結構あります。
あとyoutubeを垂れ流し続けて「あ!これ好き!ライブ観てみたいな〜」→日程を調べる→近い日程で行けそうであれば行く、というパターン。
このどっちもをかなえてくれる5バンドに出てもらえるんだな〜って思います。
出会いはもう3年くらい前だと思います。あるコンピレーションCDに入っていた『It's So f Fine』という曲がきっかけ。それまでこんな洒落た音楽を聴いたことがなかったので、聴きながら歩いた場所全てが洒落て見えました。下北沢なんかがとくに。今思えば夜のネオン街とかの方が似合いそうだけど。BAYCAMPで観たの良かったな〜。
・SHE'S
高校生の頃からたくさんライブハウスに観に行っていたバンド。初仙台に立ち会うことができたけれど、今度は初山形の機会を作ることが出来たこと、とっても感慨深い。
18歳の時に聴いたFreedamも、辛かった時にそばに居てくれたTonightも、語り出したらきりがないくらい思い入れがあります。
・indischord
From福島。私自身いちばん観に行っているバンドです。直接「出たい!」と言ってくれたことから始まりました。個人的にcinema staffとの対バンが観たかったので叶って嬉しい。
いままでいろんな表情見てきたけど、どんなステージを観せてくれるかがとっても楽しみ。
東北代表として。乞うご期待。
2014年におとのけに出演していただいたQOOLANDというバンドがツアーで仙台に連れてきたのを機に出会ったバンド。
初めて観たときに迫力に圧倒された記憶があるります。
わたしはバンドを組んではいないけれど、大好きなバンドたちが憧れの先輩のように思っているのをみて、ひっそりとわたしも憧れのように思っています。緊張。
・フレンズ
キャパ100くらいのライブハウスで観たのがきっかけで出会ったバンド。今思えば結成して間もなかったのかもしれない。
夜にダンスを初めて聴いたときの衝撃は忘れられないです。体育館みたいな広い場所、似合うんだろうな〜!
とっても楽しみすぎるな〜〜!
今年は去年と変わった点がいくつかあって、人を呼ばなきゃ!って焦っていました。先輩たちが築き上げてきてくれたおとのけならではの雰囲気感、学生の力だけでつくれるイベントの限界、すべてがプレッシャーでした。
それでもたくさんの人の力を借り、ここまでこました。学生の力だけ、とはいうもののいままでであったすべての方々に力を借していただいております。
最高のメンツでしょ、と胸を張って言えます。あと誰よりも楽しみにしている自信がある。
おとのけを通じて出会ったひともいるし、遠くからわざわざ来てくれる友達もいるし、それぞれのバンドが決まった時に思い浮かぶ人たちがいるということが嬉しくて仕方がないです。
東北の音楽シーンを盛り上げたいとか、ライブハウスに通う人たちが増えればいいなとか色々考えてたけど、当日はきてくれたひとひとりひとり、何かしらの「好き」が増えてくれれば!という気持ちです。
あのバンドが好きとか、はじめてみたけどあの曲好きだったなとか、山形が好きな場所になった!とか。
というわけで日付変わって本日、学内販売17:10-学食2階に居ますので是非お立ち寄りください〜〜!
#21 夏休みの終わり
「イベント制作をやってみたい」と思ったのはいつ頃からだろうと考えてみたものの、まったく思い出せない。びっくりするほど思い出せない。確実なのはバンドが好きになってからだということくらい。
もしかしたら2年くらい前にOTONOKE ROCK FESにアンテナを観に行った日からかもしれない。芸工大にいる知り合い(結果的には先輩になったけれど)(夢がある話)が実行委員として好きなバンドを呼んでいて憧れがあったのかもしれない。
それを機にわたしは芸工大、そして企画構想学科に入ることを決めたのだと思う。
2018年9月12日、「イベント制作をやってみたい」という夢が叶った日。
想像以上に苦しかった。でも、想像をはるかに超えて良い日だった。
これは出演してくれたアーティストさんのお陰でしかないんだけど、ね。
TENDER TEMPERのボーカルの萬屋さんが、今日のことを「異種混合」と表現していたのがとっても嬉しかった。
いままで出会ってきたひと、音楽、バンドの全てを肯定してもらえたような気がした。
そしてTobari、拓郎さんに出演していただいたことがなによりもわたしにとって大きかった。
QOOLANDというバンドが解散してから初の仙台。
おとのけの存在を知ったのもQOOLANDのおかげでした。それから4年、わたしは高校生から大学生、拓郎さんはQOOLANDからTobariと肩書きを変えた。
変わらず音楽が好きだし、変わらず音楽を鳴らし続けてくれていること。
通過点、交差点のような日だなって勝手に思ってた。
こんな素晴らしい日があったよ!って胸を張って言いたいところだけど、そのぶんまわりにたくさん迷惑をかけてきたのも事実で。
いっぱい怒られたし、いっぱい心配もされた。
苦しかったし、もう2度とイベント企画なんてやらない!って心から思った。
たぶんまたやっちゃうんだろうけども!笑
自分がたくさんライブハウスに足を運んできたことの証明として。
そのときはもっともっと多くの人に立ち会ってもらえるよう、頑張ります◎
6月の頭からほんっとしんどかったな。終わってよかったっていうのが本音。
つぎはOTONOKE ROCK FESです。楽しみ。
#20 こんな時間に書くから脈絡はない
先日、『どんな内容であれ記事を20件書く頃には力がついている』と書いている方を見かけた。このブログももう20件目。
始めてから10ヶ月くらい経って、2017年は2018年になり、大学1年生だったのが大学2年生になり、好きだったバンドは解散し、あと1週間ほどでひとつ歳を重ねる。
力がついたかどうかは知らないけど、あとから見返したときにその時の気持ちを思い出せるので、まだまだ書き続けていようと思う。
というか、他人の書く文章を読むのも自分が書く以上にめーちゃくちゃに好きなのでみんなブログかTumblrやって存分にポエってください、と言う気持ち。
そして突然ですがお知らせです。
8月27日より正式に『R4 MUSIC』のイベント制作のお手伝いをさせていただくことになりました。仙台フライングサンにて、デビュー戦。戦ではないですが。
ふだんライブハウスで観ているバンドや、東京で観たときにいいなーって思ったバンドが出るのでめちゃくちゃに楽しみです。
(その2週間後、9月12日におとのけの企画もあります。この日もたくさん気持ちこもってるのできてね。)
「仙台でもっと好きなバンドが観られたらいいのに」という気持ちがすべての始まりでした。
“初仙台”、という言葉を見るきっかけをたくさん作ってくれたイベンターさんに対して抱いていた憧れや尊敬は「いつか自分もこんな日を作る」という目標へ導いてくれました。
そんなひとの元でお手伝いできるなんて夢のようじゃないですか?
どんなバンドが観たい?とか、どんなことしたら面白いかなとか、こういう流れでイベント作ったら広がるんじゃないかなとか、あれもやってみたいね、とか。すぐ叶う話じゃないけど、叶いそうな話をしているときがとーーーっても楽しい。
それと、このまま順調にいけばあと2年で就職することになります。音楽に関わることを仕事にするのなら、就職するときには東京に出るんだろうなあとぼんやりと考えていました。だけど、東京という場所にこだわりがあるのではなく、やりたいことがあれば場所は関係ない、ということが根底にあって、実際今通っている大学もその理由があります。
妥協で東北を離れたくないから、東北に残りたいと思える理由を、音楽を通して見つけられたらと思います。
だからわたしはおとのけを頑張りたいし、みんなに来て欲しいんだよなああああ。
おわり。
#19 today is the day
知る権利とTENDER TEMPERというバンドの話。
いつだかの記事で、知る権利というバンドの時代が終わり、TENDER TEMPERというバンドがはじまったときのことを書いた記憶がある。それから半年が経ち、彼らは1st demo『よあけ』をリリースした。
それとともに前作『空が明るくなる前に』が、わたしにとってもより一層思い入れの深いものになったので書くことにする。
「好きに理由は要らない」ともいうが、好きな理由をはっきりといえる好きがあってもいいと思う。
わたしがこのバンドを好きな理由は、彼らが“自分自身で歩くためのエネルギーをくれるバンド”だからだ。
もっといえば、歌詞やことばの意味を自分なりにかみ砕いて、繰り返して、落とし込めるという部分に魅力を感じているためである。
先日、知る権利の最期の日ぶりにPEAK ACTIONというライブハウスで彼らを観た。しかも、PA卓の横というその時とまったく同じ場所で。
半年前のあの日となんら変わりないようにも思えたけれど、彼らはちゃんと進んでいたし、確と変わっていた。
萬屋さんが「理由はいつもシンプル」と告げ、ライブは始まる。
1曲目は『Morning Groly』。この曲は前作にある『もう要らない』という曲のタイトルを引用していて、初めて聴いたときからとても好きだった。
そしてわたしはこの部分に“伏線の回収とこれからへの期待”がすべて詰め込まれているのだと、そう思っていた。だが、この日2曲目に演奏された『もう要らない』という曲を聴き、まだまだ自分の解釈が甘かったことを認識させられた。
『空が明るくなる前に』と『よあけ』のあいだ。大きくて深い溝。彼らはその間に名前を変え、苦しく暗い期間を乗り越えて来たのだ。
説明すればするほど野暮かもしれないが、この2作のタイトルの情景を想像してほしい。繋がっている。素晴らしく伏線を回収している。言い換えれば、バンド名が変わるという変化が伴っているのにも関わらず、彼らの作品は一続きになっている。
知る権利としてのラストライブの日、わたしは仙台で別の予定があり、ほぼ足を運べないことが確定していた。それでも、観ておかないと後悔する気がして、走って新幹線に飛び乗り、駅からライブハウスまでもひたすらに走って、なんとか間に合って立ち会うことができた。
あの日、あの場所にいなければ、2018年7月29日の感動はもっと薄かったかもしれない。
この2つのライブが繋がってあるように、きっと音楽やライブに限らず、日々の暮らしの中でも気づかないうちに張っていた伏線が回収される瞬間はきっとあるんだと思う。点と点がつながる、といえば感覚的にわかるだろうか。
だから、ちゃんと腐らず嫌なことをこなしたり、好きなことに全力になったり、できたら良いなあと思えた。
大変なことも、やりたくないことも、やめたいことも、続けたいことも、認めてほしいことも、やりたくて仕方がなかったことも、やらなかったことも、やれなかったことも、ふと読んだ本もふと観た映画も、誰かと交わした会話も、きっと無駄じゃないんだ。