140字を飛び越えて

タイトルの通りです

#23 Halo at 四畳半というバンドのこと

どこから書けば良いのかわからないけれど、わたしにとって『Halo at 四畳半』というバンドが特別だ、ということだけでも伝わればいいなという気持ちでこの投稿を書きます。

 

最初から話はすこし逸れてしまうけれど、高校で卒論に近いものを書いたときに、インディーズバンドとメジャーバンドの違いについて調べたことがある。簡単に言えばそれはレーベルの違いをさすだけ。

CDがめちゃくちゃ売れていた時代と比べたら、現在はメジャーとインディーズの違いが曖昧になってきている。言い方を変えれば、いまは多少注目度が上がれば簡単にメジャーデビューができる時代だということ。悪くいうと、バンドとして中途半端な状態だとしてもメジャーデビューできてしまうということだ。

そんななかで、わたしが大好きなバンド『Haly at 四畳半』は、万全を期して、然るべきタイミングで「メジャーデビューを決めました」と報告をしてくれた。

 

嬉しくないわけないじゃんか。

 

去年のワンマンツアーで渡井さんが「どんどん進めるような、強いバンドじゃないから。ごめんね。」と言っていたことは今でも忘れられない。謝らなくていいのになあと思った。

どんどん進んでいくバンドはそりゃ格好良いよ。だけど、そんなバンドはわたしのことを置いてけぼりにしてしまう。ちょっぴり寂しい気持ちにさせられるから。ずっと長く好きでいることは難しいと思ってしまうから、ひとつひとつ一緒に同じ景色を見ていられるほうがよっぽど良い。

 

ちょうど3年前、気温と湿度が上がりはじめた時期に『APOGEE』という音源がリリースされた。黄色に赤文字のあのど派手な袋をうきうきしながら、振り回しながら帰ったことを今でも覚えている。3年前の夏は、「全国流通おめでとう」とツイートをしていた。

確かに歩幅はゆっくりかもしれない。だけれど、一緒に歩いてきているというような、そんな感覚がある。置いてけぼりにさせてくれない、そんなバンドだ。

 

先日、vo.の渡井さんが「ハロとの思い出を聞かせてください」とツイートをしていて、ハロとの出会いから思い返していたここ数日。

初めて観たフライングサンでのことも。ジャンクボックスで聴いた瓦礫の海に祈りを捧ぐのことも。ワンマンの会場を横目に階段を登って別なライブハウスに行ったことも。はじめての仙台ワンマンのことも。2度目のワンマンのことも。reach the skyという名のイベントで聴いたウユニの空へも。メガロックスで聴いた曲で聴いたシャロンも。darwinで聴いた箒星についても。なぜか群馬で4回も観ていることも。アンテナとのツーマンのことも。

どの日のことも事細かに覚えているけれど、やっぱり初めて観た2015年9月4日、仙台フライングサンを大切に思ってしまう。

初の全国流通盤のツアー仙台編のことだ。

その日お目当てはHalo at 四畳半とQOOLANDとIvy to Fraudulent Gameとジョゼの4バンド。当時はどれもインディーズバンドだった。

今となってはそのうちふたつは解散してしまったし、ハロとアイビーはメジャーバンドになった。3年前のわたしは良い意味でも悪い意味でも想像できないんだろうなあと思う。

 

バンドを応援する、って幸せなことだとつくづく感じる。日常生活を忘れられるようなライブの時間があること。新曲を楽しみに過ごせること。音源を手に取るワクワク感。しんどさを紛らわせてくれること。明日から頑張ろうと思わせてくれること。

日々の生活に刺激や活気を与えてくれるような存在だ。

だけれど、QOOLANDが解散したころから、「バンドを応援する」ということには“悲しみ”がつきものだと、一種の諦めを持つようになってしまった。

解散もメンバーの脱退も活動休止も、切っても切れないものであると、自分に言い聞かせながらじゃないと身を滅ぼすだけだ。

だからこそ、Halo at 四畳半のメジャーデビューがなによりも嬉しかった。希望の光のようだった。

やっぱり大好きなバンドと一緒に夢を見ていたいよ。いろんな景色見ていきたいし、ずっとずっとワクワクしていたいよ。

 

 

よだかの星の掬い方と名付けられた夜。

 

よだかの星だけでなく、どん底に居たわたしを掬ってくれた時間と言葉たち。

あの夜のように、きっとこれからもずっとずっと掬ってくれるのはこのバンドだと思います。

 

改めてメジャーデビューおめでとう。

 

 

 

 

 

 

 

"生きるってことはつまりそう 悲しみの上に立って笑う様なものだろう"