140字を飛び越えて

タイトルの通りです

#25 精神と時の部屋と徒然草

定期的に読み返したくなるコラムがある。

それは、たらればさんという方が書いた『あの高円寺のユニットバスで、何もかもを欲しがっていた』(https://mooom.chintai.mynavi.jp/koneta/story)で、ざっくり内容を書くと「好きなものをみつけるためにはどうしたらいいか?」という問いに対して、たらればさんなりの回答を示しているものだ。

ちょうどひとり暮らしをはじめたばかりの頃に公開されたこと、どうも曲がった見方ばかりをしてしまう自分に嫌気がさしていたことも相まって、まるで自分のために書かれた文章だと勘違いしてしまうほどだった。

星の王子さま』のに出てくる台詞を引用し、かけた時間だけ愛情は比例する。だから、自分と向き合うことで自分についての言葉を磨いて、磨いた言葉と向き合えば愛着が湧く、と著者は述べていた(細かい表現は端折っているので原文を読んで欲しい)。その結果、「自分と向き合って磨いた言葉」が「好き」に繋がる、と。

 

じゃあインターネットが普及した今、どうやって自分と向き合うのか。

ひとつの例として挙げていたのは本を読むこかとだった。幸い、わたしの暮らす部屋にはWi-Fiを開通させていないので、やることは寝るか家事か本を読むことしかない。

 

先日、Saucy Dogの『雀ノ欠伸』という曲のミュージックビデオが公開された。めちゃくちゃ良い歌だな!と思っていると、それは“サントリー 天然水GREEN TEA”の徒然なるトリビュート(https://www.suntory.co.jp/water/tennensui/greentea/tsuredure/index.html)という、それぞれのアーティストが『徒然草』を再解釈して曲にする、という企画だった。

すごくいい企画だな、となんども思う。

 

徒然草の序文、“徒然なるままに”から始まる文章、高校生の時に読んだ記憶が蘇る。

そのあとに“硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ”と続く。

現代語訳すると「心に浮かんでは消えるのとを書き留めてみると、自分の心の実態と向き合うことができるのではないか」になるのだが、Saucy Dogの『雀ノ欠伸』では“画面じゃなくて自分を見つめてみようかな”という歌詞に落とし込まれている。

 

月並みな感想を次から次へと思い浮かべて、やはり自分と向き合うには画面から離れてみよう、と思った。

 

序盤に書いたたらればさんのコラムから表現を拝借するならば、わたしは文字族の人間であり、音楽族の人間なのだと実感した。

文字と音楽が、自分と向き合う時間をもたらしてくれる。

 

そしてわたしは現在、『徒然草』を読んでいる。