140字を飛び越えて

タイトルの通りです

#16 叫んでよ新宿

2018.04.07

とうとうQOOLANDというバンドが解散してしまった。発表から3ヶ月、それからは盛岡と仙台で2度観た。あっという間だった。

 

なんとなーくずっとそばにあるんだろうな、って思ってしまっていたけれど、違かったなあ。

初めてQOOLANDのライブを観た日、『ある事無い事』という曲から始まった。ラストライブでももちろん演奏された。

“でもね どうしたって訪れる どんなに足掻き泣いたって終わりは来る事 万物は絶対に離れてく 愛や人や仕事も”

という歌詞がある。その通りだ。

どんなことにも別れはあるのに、「ずっとある」と勘違いしてしまうことを言い当てていたような気がしてしまった。悔しいけどそういうひとたちだ。今までの彼らを観ていたらそう思わずにはいられなかった。

 

何度も何度も言うが、わたしはクソみたいな高校時代を過ごしてきた。なにがどうだった、とか具体的な話はさておき。人間関係や閉塞的なルール、全てにうんざりしてたくさんのモヤモヤを抱えていた。そんな時に出会ったのが『反吐と悪口』という曲だった。

“教室が大嫌いで 千切り捨てて刺したかっただけ”

“大した事は歌えはしないが 俺と誰かに灯るなら”

このバンドに、この曲に、出会えていなかったら、きっと今頃わたしは独りきりだったと思う。抱えたモヤモヤをそのまま誰かにぶつけて傷つけていたかもしれない。でも今こうやって暮らしていられるのは、彼らが気持ちを代弁してくれていたから。

 

それからは、何度もライブに足を運んだ。自分にとって一つの区切りだ、と思うタイミングにちょうどライブの予定があることが多かった。そのタイミングでいつも背中を押してもらっていた。受験の時もそうだった。

“落ち込んだっていいし 消えたい日もあっていいしそれでも本気で生きたいなら 傷ついていこう 凛として”

いつのまにか、もやもやを代弁してくれるバンドから、「一緒に正しく生きていこうぜ」なんて手を引いてくれる存在になっていった。行き詰まった生活を打破するヒントはこのバンドがくれた。

 

わたしはぜんっぜん大人になれないので、大好きなバンドの解散も活休も脱退もちょーちょー苦手なので人一倍泣くし、笑顔でなんて観れないけど、確と大事なバンドの最期を見届けてきた。忘れないなんて言いきれる自信はないけれど、きっとわたしを救ってくれたこのバンドのことを忘れることはないのだろうなあ、と思う。

最期の日になって、新宿で『叫んでよ新宿』と『ゆとり教育概論』という曲を聴くという夢が叶った。いままで聴きたいなあと思っていた曲もたくさん聴くことができた。いまになって、ああこの曲のココがすきだなあって思ってしまった。ラストライブのひとつ前のライブも行ったけれど、さらにばっちばちになっていたから、これからもこのバンドを観ていたかったなあ、と思った。最後の最期まで凛としていて、わたしの大好きなバンドでいてくれて本当に有難う。

“「きっと大丈夫だ」と歌うバンド”は今日で解散してしまうのに、“またあしたが面白くなっていく”と歌ってしまうこのバンドが本当に大好きで仕方がない。皮肉だなあ、と思う。その皮肉に救われてきたのだと思うけれど。

 

ラストライブから数日経った今も、QOOLANDというバンドがもうこの世に存在しないことが信じられない。いままでのように、ライブを当日解禁したりしちゃうんじゃないかなあと思ってしまう。

 

このバンドの代わり、なんていないけど、わたしはまた違う「好き」を頼りに生きていくのだと思う、悲しいけれど、寂しいけれど。またどこかで。

 

ありがとうQOOLAND。大好きでした。