140字を飛び越えて

タイトルの通りです

#18 夏が過ぎれば

あと1ヶ月もしないでわたしははたちになる。自分がなにかの節目を迎えるのはまだまだ先のことだと思っていた。

だけど、どうやらもうすぐらしい。時間が経つのがはやい。

 

今年の夏の終わりから、わたしがインディーズバンドのライブに足を運ぶきっかけを作ってくださったイベンターさんのお手伝いを、正式にやらせてもらうことになりました。

 

「楽しそう!」って思わず口に出してしまうくらい、これからの話を聞いていてわくわくした。

 

 

これからは「好き」に責任を伴うようになる。趣味がちょっとだけお仕事に近づく。受け手だったのが発信者になる。

 

3年前、今回と似たようなチャンスをいただいたときに、「熱意は伝わるけど年齢が…」と断られ悔しい思いをしたことがあるからこそ、やりたいことができる環境に身を置けることのしあわせを噛み締めている。

今回採用していただくにあたり、「熱意がいちばん伝わってきた」と伝えてくれた。それがなによりも嬉しかった。

 

諦めないで良かった、と心から思う。

 

 

正式なことが決まればまたお知らせします。

 

どうか、見守っていてくれるとうれしいです。

 

その前に。近々、わたしが関わらせてもらっている『OTONOKE ROCK FES'18 』について解禁があります。

 

だれに対しても、「わたしはこんなことをしているよ!」って胸を張って言える活動ができていること、とっても幸せだな。

 

腐らず、がんばります。

 

 

 

 

 

#17 言葉の力を信じている

音楽を聴くこと、ライブに行くこと、本を読むこと、旅行に出かけること、映画を観ること。これがわたしの好きなことだ。

でも、それが誰にも負けない「好き」であるかどうかといったらなんだか違うような気がしてしまう。わたしより凄い人達はたくさんいるし。

 

ここ最近は「苦手なことも頑張ろう」と思える日々が続いている。新しいことを始めるにあたってちゃんと他人と連絡を取ろうと思って、業務的な連絡をするためのメールアドレスを探していたら、去年の秋ごろに書いた音源レビューを見つけた。伝えたいことと書いたことががっちりハマった感覚があった文章。今読み返すとまだまだだなあとは思うものの、書いた当時と同じ温度があって嬉しくなった。

 

 どこか悲しみを帯びたようなアサトアキラの歌声。“君はもうフロアにはいない”というワンフレーズにどれだけの思いが込められているのだろうか。
わたしたちリスナーとアーティストを繋ぐものは「音源」と「ライブハウス」の2つがある。本人が大切にしているのはきっと後者だろう。ライブハウスでしか味わえないかけがえのない時間を大切にしてほしいという願いが込められているように感じる。
 あなたがこの曲でアサトアキラと出会えたなら、ライブハウスという場所に足を運んで欲しいと心から願う。きっと彼から目が離せなくなってしまうから。どんな気持ちがこの曲に込められているか、きっとわかるはずだから。

 

これを書く前に、たまたま越谷で観たアサトサキラさんの『さよなら青春アイデンティティ』という曲のレビュー。初見での衝撃が忘れられなくて、どうしても彼の姿をライブハウスで見て欲しくて一生懸命書いた文章。

これを読んで、わたしにとって“ことば”は「誰にも負けない好き」じゃなくて「誰かと比べない好き」だなあ、とふと気がついた。

書いた後で何か反応をいただけたとかではないけれど、わたしは言葉が人の心を動かし、その心の動きが行動へとつながるということを信じてやまない。

過去に自分が大好きなバンドの歌詞に救われたように。3日前に読んだあるコピーライターの方のツイートを読んでこの記事を書こうと思ったように。

 

これから積極的に、心が動いた瞬間を言葉にしていきたい。それはTumblrhttps://nikki-to.tumblr.com/)に書いていこうと思う。良かったら気に留めていて欲しいし、あわよくば文章を書くお仕事がしたいです。どうか今後ともよろしくお願いします。

 

#16 叫んでよ新宿

2018.04.07

とうとうQOOLANDというバンドが解散してしまった。発表から3ヶ月、それからは盛岡と仙台で2度観た。あっという間だった。

 

なんとなーくずっとそばにあるんだろうな、って思ってしまっていたけれど、違かったなあ。

初めてQOOLANDのライブを観た日、『ある事無い事』という曲から始まった。ラストライブでももちろん演奏された。

“でもね どうしたって訪れる どんなに足掻き泣いたって終わりは来る事 万物は絶対に離れてく 愛や人や仕事も”

という歌詞がある。その通りだ。

どんなことにも別れはあるのに、「ずっとある」と勘違いしてしまうことを言い当てていたような気がしてしまった。悔しいけどそういうひとたちだ。今までの彼らを観ていたらそう思わずにはいられなかった。

 

何度も何度も言うが、わたしはクソみたいな高校時代を過ごしてきた。なにがどうだった、とか具体的な話はさておき。人間関係や閉塞的なルール、全てにうんざりしてたくさんのモヤモヤを抱えていた。そんな時に出会ったのが『反吐と悪口』という曲だった。

“教室が大嫌いで 千切り捨てて刺したかっただけ”

“大した事は歌えはしないが 俺と誰かに灯るなら”

このバンドに、この曲に、出会えていなかったら、きっと今頃わたしは独りきりだったと思う。抱えたモヤモヤをそのまま誰かにぶつけて傷つけていたかもしれない。でも今こうやって暮らしていられるのは、彼らが気持ちを代弁してくれていたから。

 

それからは、何度もライブに足を運んだ。自分にとって一つの区切りだ、と思うタイミングにちょうどライブの予定があることが多かった。そのタイミングでいつも背中を押してもらっていた。受験の時もそうだった。

“落ち込んだっていいし 消えたい日もあっていいしそれでも本気で生きたいなら 傷ついていこう 凛として”

いつのまにか、もやもやを代弁してくれるバンドから、「一緒に正しく生きていこうぜ」なんて手を引いてくれる存在になっていった。行き詰まった生活を打破するヒントはこのバンドがくれた。

 

わたしはぜんっぜん大人になれないので、大好きなバンドの解散も活休も脱退もちょーちょー苦手なので人一倍泣くし、笑顔でなんて観れないけど、確と大事なバンドの最期を見届けてきた。忘れないなんて言いきれる自信はないけれど、きっとわたしを救ってくれたこのバンドのことを忘れることはないのだろうなあ、と思う。

最期の日になって、新宿で『叫んでよ新宿』と『ゆとり教育概論』という曲を聴くという夢が叶った。いままで聴きたいなあと思っていた曲もたくさん聴くことができた。いまになって、ああこの曲のココがすきだなあって思ってしまった。ラストライブのひとつ前のライブも行ったけれど、さらにばっちばちになっていたから、これからもこのバンドを観ていたかったなあ、と思った。最後の最期まで凛としていて、わたしの大好きなバンドでいてくれて本当に有難う。

“「きっと大丈夫だ」と歌うバンド”は今日で解散してしまうのに、“またあしたが面白くなっていく”と歌ってしまうこのバンドが本当に大好きで仕方がない。皮肉だなあ、と思う。その皮肉に救われてきたのだと思うけれど。

 

ラストライブから数日経った今も、QOOLANDというバンドがもうこの世に存在しないことが信じられない。いままでのように、ライブを当日解禁したりしちゃうんじゃないかなあと思ってしまう。

 

このバンドの代わり、なんていないけど、わたしはまた違う「好き」を頼りに生きていくのだと思う、悲しいけれど、寂しいけれど。またどこかで。

 

ありがとうQOOLAND。大好きでした。

#15 春休み

馬鹿みたいなスケジュールで生活している3月。バイト先と家の往復のみの2月とは違う。たくさんの人と会って話して、美味しいご飯を食べて楽しく過ごしている。

まだ終わらないけど、3月の振り返り。長くなる、と思う。読まなくていいです。

3月3日@山形

久しぶりに山形へ。大学の人たちと好きなバンドを観る違和感凄すぎたし、修学旅行感強すぎて笑った楽しかった!

3月4日@盛岡

電車で盛岡へ。「会いたいから会いにきた」って理由でツアーファイナルの会場になっちゃうの最高。ありがとう聴けて死んだんだけどなんで隣に誰もいないの!ってなりました。

3月7日@水戸

人生で初めての茨城県。水戸ライトハウスの天井の高さを味わいたいという目標が達成された。松屋が潰れてたから吉野家で夕飯を食べた。

3月8日@水戸から宇都宮

水戸黄門像の前で偕楽園の行き方を調べていたら、2人組のおじいちゃんに写真を撮るように頼まれた。わたしも観光客なのに。偕楽園でおみくじを引いたら「学問:あぶないです。」となっていて前期が不安になった。

宇都宮で餃子をたべた。大好きなバンドの対バンが最高だった。一年半ぶりくらいに観たいこーーーるらいつのセトリほぼ音源化されてない曲だったので月日の流れを感じた。

北浦和でライブを観た仙台の友達と合流して餃子をたべてカラオケオールした。意味がわからない。

3月9日

福島からきた友達とご飯を食べた。そのあと初めてぐっどおんざりーーーーるを上手の最前列で観た。自由度の増したあのひとたち最強だ。いらないでめちゃくちゃ泣いた。いつまでもわたしの光だ。

3月11日

4年前からこの日はライブハウスで過ごしている。この日ライブをすることに不安がっていたバンドに「今日観ることができて良かった」と伝えたら、「俺らも今日できて良かった」と返してくれた。

3月17日@福島

大好きなバンドの初ワンマン。早めに集合してカフェ行ってどうやったらわたしに彼氏ができるか、という話をした。彼氏が欲しい。パワーワードは「犬に学ぶ処世術」。トイプードルかわいい。

1年前に初めて見た時にグッときたフレーズにそこからの1年分の思い出が重なってめちゃくちゃグッときた。バンドを続けてくれてありがとう〜という気持ち。これからもよろしくね。

終わった後はみんなでおでんをたべた。軽率に終電を逃して新幹線で帰宅。ここから生活が狂う。

3月20日

久しぶりに2個下の女の子に会った。彼女の質問力が凄かった。サニーカーウォッシュでバカぶち上がった。キイチビール楽しかったなあ。世の中のことわからないの歌詞に共感しすぎている。

3月21日@郡山

本当は、行かなくて良くない?ってなってたのに気がついたら来ていた。バンド側もスケジュールアホになってたから、仕事の合間と卒業式のあとにライブしてたけど。ライブのあと友達とまぜそばキメて、カフェで喋ってた。し、そのあとデニーズで喋ってた。わたしにどうやったら彼氏ができるのかという話題から、バンドマンの彼女になって物販の女になるところまで友達の妄想が進んでいた。夕方くらいに帰るつもりだったのに終電を逃して新幹線で帰宅。

3月22日@郡山

午前11時に収集をかけられた。帰った意味(笑)ってめちゃくちゃ突っ込まれた。量が多いことで有名な中華料理屋さんでご飯を食べて、サイゼリア行ったりカラオケに行ったりした。友達がサイゼリアでワインにセットドリンクバーをつけててめちゃくちゃ笑った。

1年ぶり the Sunとか言ってたけど、本当は半年ぶりthe Sunでした。ロックンロールポップギャング聴けて良かったなあ、あれ聴いたらどんなことでもなんでもよくなる。ふと隣の人をみたら、拳握る手に力が入りすぎて震えていて、感情的にライブを観られる人最高だな!ってなった。主催のバンドのボーカルが「バンドはあなたのための歌を歌うわけじゃないけど、自分のために歌われた曲じゃないかっていう“勘違い”を大切にしてほしい」って言っていて、いちばん聞きたかった言葉だなーって思いました。帰るの面倒〜ってなってネカフェで死んだように寝た。(次の日仙台でライブ観る予定でチケットも買ってたのに行かないことにした)

3月23日@郡山

3日目の郡山。やることないから〜、って言って友達を早めに召喚してラウンドワンでスポッチャをした。あんまり楽しい感情が表に出ないふたりなりにめちゃくちゃ楽しんだ。あと、ライブ前にスポッチャは行くもんじゃないってことを学んだ。

「軽率」と「推せる」、「つ」がキーワードの日。

3月24日

久しぶりにたくさんの人にあった。3年前からわたしはライブハウスに行くようになったのだけれど、その時頻繁に顔を合わせていた人たちが大集合していた。みんな生活が変わってあまりライブハウスに来なくなってしまったひとたち。メンバーの脱退によって形を変えたバンド、その脱退したメンバーがボーカルを務めるバンド、そのバンドと仲が良いバンドの解散前ラスト地方公演、わたしがいま大好きで仕方がない福島のバンドが揃った日。あのバンドはもういないし、そのバンドはもうわたしを救うことはないし、高校時代わたしを救ってくれたバンドはもう思い出の場所で観ることはできない。大好きなバンドはここ最近で上位に入る良いライブをしていた。いろんな感情が交差して終わったあと抜け殻のようになってしまった日。無理無理帰りたくない!って駄々をこねて終電の時間までサイゼリアで時間を潰した。

3月25日@東京

始発で東京へ。乗り継ぎの関係で郡山駅へ。結果週4日来ることになった。馬鹿では?

大好きなバンドが揃っていた日。でもそれだけじゃ来ていなかった。主催者の方の想いがぎゅっと詰まっていて、とっても素敵な空間だった。わたしも仙台でこんな日を作りたいなあと思った。ライブハウスでたべるオムライスが最高でした。(奥のソファで爆睡して2バンド見逃しました、ごめんなさい)

 

人生でいちばん楽しい春休みです。そんなことを言ったら、「来年はそれを更新しよう」なんて思わず笑ってしまうようなことを言ってくれるひとがいる生活、最高じゃんね。

こんな日々よ続けーーー!と思いながら今日はバイトの面接をして、これからバイトをします。

#14 下北沢でまた会えない話

去年はたくさん下北沢に行ったような気がする。松屋も、ガストも、サイゼリヤも、マックも。近松もモザイクもスリーも。

ちなみに初めて下北でライブを見たのは2016年の12月、Suck a Stew Dryの5人として最後の対バンライブ。

『二時二分』という曲に“下北沢でまた会いましょう”という歌詞があって、当時のわたしはなんとなく、この下北沢GARDENという場所でまた大好きな曲が聴けるような、そんな気がしていたから、下北沢でこのフレーズが聴けたことに陶酔していた。

 

現在は4人で別な名前のバンドとして活動しているから、当時想像したような時間はもう来ることはないのだけれど。

あの頃大好きだった曲はもう聴くことはできないし、彼らも今のバンドを前のバンドの延長線上にあると思ってはいない。

わたしが好きなのは“あの頃”。今を否定するとかじゃなくて、単に、別の時間軸で進むようになったとかそういう感覚。言葉は悪いかもしれないけれど、無関心に近いのかもしれない。

きっとまた出会うべきタイミングで、出会うのだろうなあと思う。

 

わたしの大好きなバンドとは下北沢でまた会えない。そんな話。

 

その次の日、渋谷クワトロにて正真正銘のラストライブが行われた。

「明日から何を着て出かけようか」と始まって、「明日から何を着て出かけようか」で終わったことがとても印象に残っている。ユーズドクロージングとトロイメライ、どちらも大好きな曲だ。

その日食べるもの、着る洋服、聴く音楽、会う人、話すこと、やること、したいこと、しなきゃならないこと、日常には大小関わらずたくさんの選択肢があって、そこからひとつひとつ選んで暮らしている。

 

格好つけてめちゃくちゃなことを書いているんですけど、本題は先日買った可愛い(派手な)アウターを着たいなあって話です。明日から赤いアウターを着て出かけたい。

早く暖かくなってほしい。

あと、明後日面接を受けるので証明写真を撮りに行きたいのに財布に700円しか入ってないから困ってます。

 

おわり。

#13 アウトプット

久しぶりの更新になりました。「最後の更新から1ヶ月経ちましたよ!」みたいなメールがきて、時の流れの速さを実感させられました。

 

1月の半ばから課題に追われまくって、行きたいライブも何本か行けなくて、本当にびっくりしました。ちゃんと期限までにぜーんぶ出したのでえらい(えらい)

こんなにナチュラルに忙しくてライブに行けなかったのはライブハウスに通い始めて3年経つなかで初めて。普段どれだけ暇だったのか、ってことを考えて頭を抱えました🤔

もっとまともに生きたい。

 

1月の後半から春休みに入り、バイトばかりしています。ド早朝に寝て、昼過ぎに起きる生活(例:27:00に寝て15:00に起きるなど)。

今思い返せば、自由登校だった去年のこの時期も似たような生活をしていた、はず。0:00に寝て12:00に起きる生活。こっちの方が健康的、たぶん。

空いてる時間は大体ウォーキング・デッド観てます。その後バイト行ってTwitterして寝るというクオリティオブライフの低さ。生産性がない。

シーズン2まで観たんですけど、これ少なくともシーズン8まで解決しないんだな〜と思って観てるのでしんどいです、なんでみんな感染したんだ。Yahoo!知恵袋とか考察とかを見てる日々です。あとネタバレも見てる。

2/26からシーズン8の後半が放送されるので、それまでに追いつきたい(無理)

誰か観てるひといたら話しましょう。

追いついたらオススメされたスーパーナチュラルっていう海外ドラマをみるつもりです。春休み終わるな〜

 

 

 

食べたいものが思い浮かばないことが、食欲がないってことなのかなあっていうのが本題です。これを書くために600字書きました。

 

おやすみなさい。

 

 

#12 バンドの覚悟とわたし

2017年12月17日。

知る権利という郡山のバンドの、ひとつの時代が終わった。

ツアーファイナル、現体制ラストライブ、いろんな名前を持つ日だった。その日には知らされていなかったけれど、知る権利というバンドの終わりの日でもあった。

いつも通り、いつものように終わった。

 

2018年1月6日。

知る権利 改め TENDER TEMPER の初ライブ。「変わらないために変わり続ける」なんて言うけれど、その言葉を表すためにあるような30分だった。それと同時に、彼らは「変わり続けるために変わらない」選択をしたようにも思えた。

“いちばん上手い知る権利のコピーバンド”とふざけて言ったあとに「ニセモノになりたくない」とベースボーカル萬屋さんは言ったが、その言葉には覚悟の色しか無かった。

 

“today is the day 今日がはじまり”という歌詞は、はじまりの日の1曲目にぴったりだった。そして、最後の曲のタイトルは『エンドロールは流れない』。この凝っているものの自然な流れがとっても彼ららしくてニヤっとしてしまった。

はじまりの今日、彼らの覚悟。大切な日を見届けることが出来てよかった。TENDER TEMPERというバンドが、この時代に爪痕を遺すその日まで、わたしは見届けていく覚悟を決めた。

 

2年前に初めて観たときに響かなかった、とかそんなのはどうでもいい、わたしが今このバンドに心を打たれていること、大好きだと胸を張って言えること、その気持ちを大切にしていくことがすべてだ。

 

 

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 知る権利としての最後のチケット。